Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

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思想、文学、芸術。「自我の苦悩を描いた文学よりも時刻表の方が遥かに重要だ」(E・ユンガー)。「我々に必要なのは強靭で直截でかつ永久に理解出来ない作品だ」(T・ツァラ)。元アナキスト革命連合(ARF)バクーニン主義派。「戦後最年少のイデオローグ」も高齢者に。『思想としてのファシズム』(彩流社)携帯09060622504

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「自我の苦悩を描いた文学よりも時刻表の方が遥かに重要だ」E

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2017年05月08日(月)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

安倍政治は、安倍の頭でも安倍の政治力でもなく、安倍のブレーンによる政治だろう。断るまでもないが日本会議は関係がない。それよりも母方の祖父の岸以来のブレーンだ。これは、第一次安倍政権の時、なぜ安倍は腹痛で退陣せざるをえなかったのかという問題とも関連している。

20:18:56
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@potatosnacks48 王権神授的な貴族主義だと(皇国史観や既存の国体論はこれですが)、皇統はカリスマ的な超越性を持ちえませんからね。天照大神の神勅の話は、建国後のその正当化でしょう。

@potatosnacks48 への返信
19:45:35
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

同じような言葉を使いながら、意味が正反対であったりする。この人物は、安倍は極右であり、保守がしっかりしていればと言いたいようだが、私は、安倍は保守であり、極右ではないと捉えている。twitter.com/sn4416/status/…

07:41:50
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

案の定マクロンの勝利。ルペンの敗北はポピュリズムが、極右とも、さらにファシズムとも異なるものであることを示しているだろう。

@Chisaka_Kyoji への返信
04:05:46

2017年05月07日(日)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

問題は、古めかしい左翼のように神武建国は、作り話だと否定することでもなければ、皇国史観的な与太話で肯定することでもない。ニニギ尊の天孫降臨の地が大和でなかったこと、それゆえイワレヒコ(神武)が大和への侵略者となることを肯定する思想とはどのようなものなのかを問うことだ。

@Chisaka_Kyoji への返信
16:44:21
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

例えば、天照大神の神勅を受けたニニギ尊が天孫降臨した地は、なぜ、大和ではなく、九州なのか。九州だからニニギ尊の孫のイワレヒコ(神武)は、兵隊集めをして武装組織を形成し、大和に攻撃をしかけ大和のニギハヤヒ体制の防衛軍の長脛彦に敗れたりしている。神武建国は、なぜ、そのような話なのか。

@Chisaka_Kyoji への返信
16:38:26
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

伝統とされる以前に、古代から連綿と続いたものを肯定する場合、そこにあった思想を、もちろん意識された思想ではなく、構造的な無意識としての思想を見る必要がある。伝統だからという理由ではなく、なぜ絶えることなく続いたのかということだ。偶然だとしても偶然にも、それなりの経緯があるからだ。

@Chisaka_Kyoji への返信
16:29:55
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

伝統を肯定するなら、それが近代に形成されたものだということを踏まえて肯定すべきであり、そして近代以前、伝統として確立される以前については、どのような思想がそこから読み取れるかを精査すべきだ。

@Chisaka_Kyoji への返信
16:17:11
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

今日、伝統といわれるものは、何処の国でも古代から在ったものではなく、近代になり、国民的自我に目覚め、その歴史意識により、遡及的に、近代になって作られたものにすぎない。近代以前に、伝統というような確固としたものはなく、偶然に続いてきた状態を、近代において伝統と位置づけたにすぎない。

@Chisaka_Kyoji への返信
15:54:01
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

また、男子血統なら、なぜ天孫降臨したニニギ尊に神勅を下したのが天照大神という女神になるのか。天照大神の夫ではないのか。また、実在天皇の初代とされる応神天皇は、神功皇后の子とされる。なぜ仲哀天皇の子と形容されないのか。男子血統論は、天照大神は男性だったと言い始めている。

@Chisaka_Kyoji への返信
15:49:53
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

自称国粋派の多くが皇統について男子血統でなければ駄目だというのは、ちゃんちゃら可笑しい。男子血統とは儒教の発想であり、国粋派が「支那」と言う処の国の文化にすぎない。つまり、男子血統でなければ駄目だという国粋派は、「支那」文化の追随派ということか(笑)。

15:46:05

2017年05月06日(土)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

問題は、この見えないものの表現の不可能性の維持だ。不可能性は不可能性として存在しなければならない。しかし、それは表現としては不可能だから作品とはならない。存在としてのダダの問題の戦場はここにある。

@Chisaka_Kyoji への返信
18:59:02
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

表現には大別して2つの傾向がある。「見える」ものを表現するか、「見えない」ものを表現するかだ。方法的には、見えないものは、見えるものをダシにして表現していたが、存在としてはそれは無効になる。見えるものの表現は包装化するとすれば、見えないものの表現は不可能となる。

18:43:10
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ダダイズムは室内的行為であるかぎり演芸の域を出ないが、外に出た時、演芸ではなくなり、ダダイストも市民芸術家ではなく、兵士・労働者となるだろう。

@Chisaka_Kyoji への返信
18:36:17
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

優美と崇高の違いをわかりやすく言えば、額縁に入るのか入らないのかということだ。優美は額縁に収まり飾ることが出来るが、崇高は額縁に収まらず、飾ることさえ出来ず、直面させられるのだ。むろん型式上は絵なのだから絵として描かれいる。しかし、それはすでに絵ではないのだ。

@Chisaka_Kyoji への返信
18:25:58
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

パリ中心の美術における「優美」に対するドイツ・ロマン主義を基軸とする北方ロマン主義における「崇高」とは、単なる別な美意識であり、画法なのかということだ。

@Chisaka_Kyoji への返信
18:21:30
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

R・ローゼンブラム『近代絵画と北方ロマン主義の伝統』を読む。フリードリヒやルンゲのドイツ・ロマン主義がゴッホやムンク、マルク、カンディンスキー、クレー、エルンストを経てロスコ等のアメリカの抽象表現に及ぼした影響を跡付けているが、北方ロマン主義の表現を画法と捉えるミスをしている。

18:17:22
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

スイスの国起こしとしてダダイズムを利用しようとしたスイス大使館及び関係諸機関は、過去のダダイズムの歴史的限界を突破し、ダダの破壊性を密室ではなく世界的に再構成せんとする現代のダダイストに驚愕することになるだろう。

@Chisaka_Kyoji への返信
18:01:16
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

では、ダダは、存在としての破壊を貫徹出来たかといえば、そうでもない。むしろ過去のダダは存在に至り得なかったとさえいえるだろう。おそらくこの問題に関連し、貫徹への問いを問うたのが、ダダ100周年記念コンペへの介入の内実だ。

@Chisaka_Kyoji への返信
17:55:03
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ダダイズムの破壊性の問題は、方法ではなく素材に、つまり存在であるところにある。つまり、それは方法では処理出来ないのだ。おそらくダダとシュルレアリズムの違いもそこにある。ダダからすればシュルレアリズムは、まだ方法にすぎないのだ。

@Chisaka_Kyoji への返信
17:49:02
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

まだ、スイスも日本も、そしてその他の国も気づいていないが、昨年の日本のスイス大使館主催の「ダダ100周年記念コンペ」の結果は、ダダの歴史においてダイナマイト的要因を持つだろう。この件については、活動報告を越えて、ダダの表現や政治の思想から本格的に検証する必要がある。

17:41:55
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

このシリーズが、日本でのドイツ表現主義の体系的で本格的な紹介の最初だろう。1巻は「詩」、2巻は「小説」、3巻は「演劇・映画」、4巻は「美術・音楽」、5巻は「理論と運動」という構成。4巻に「表現主義からダダへ」の章があり、アルプ、ヒュルゼンベック、ハウスマン他が訳出されている。

@Chisaka_Kyoji への返信
17:15:53
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

手元にあったドイツ表現主義シリーズの第4巻『表現主義の美術・音楽』の奥付を見ると「1971年6月15日印刷 1971年6月20日発行」とある。どうでもいいことだが、6.15は、4.28、10.21と共に全国闘争の日であり、1970年の翌年に刊行されていることが色々考えさせる。

17:06:15
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

中野正剛率いる東方会は、数万名の構成員を要し、黒の制服を着用し、「日本版ナチス」とか「ナチス的右翼」と揶揄されたが、東方会の突撃隊でもある東方青年隊の隊長で、戦後は熊本県人吉市の市長となっていた永田正義によれば、東方会の催しに乱入する国粋右翼を撃退するための識別でもあったらしい。

11:39:33
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

苗字に関連して伝統を云々する連中がいるが、誰も、明治以前までの姓と苗字の違いと、明治以降において姓と苗字の一体化に対して、苗字とは別の姓の再興について主張しないのはどういうことなのか。昨今の伝統復活派というのはその程度のペラペラなのか。

10:30:48
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

日本ではフランスの国民戦線のルペンを極右と形容するが、ルペンは右翼保守というのがいいところで極右ではないだろう。極右には、ある種の変革性があり、しかも既存秩序の強行的変更ではなく、ある種の刷新を含むからだが、ルペンはそれに該当しないからだ。またルペンは政権をとる意志はないだろう。

10:06:35
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@mutsukyoukai 宮本武蔵の本名(本姓と諱)は、藤原玄信だったはずです。

@mutsukyoukai への返信
09:53:27

2017年05月05日(金)

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千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

茶摘みの歌といえば、小学校の一年の時に最初に手にした社会の教科書に、夜の明かりに照らされて賑わう京都の河原町と、宇治山田の茶摘みの絵が載っており、そこに描かれた河原町や宇治山田の景色がとても印象的で、私の自意識における最初の風景だったように思える。

@Chisaka_Kyoji への返信
12:37:07
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千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@stadtmauer 季節柄、まだ、もう少しカラッとしているはずですが、少し蒸し暑い感じです。日本が亜熱帯になりつつあるといわれることの現れかもしれませんね。

@stadtmauer への返信
12:36:00
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

5月に入り、まだGWなのに今日は少し蒸し暑く、クーラーをスイッチを入れた。まだ梅雨の前であり、「夏も近づく八十八夜」という茶摘みの歌でも歌われる初夏でもないというのに。

12:27:36

2017年05月04日(木)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@watanuki1989 ローゼンベルクの評伝についてはドイツ語ですが、こういうものがありますね。版元のブブリス社は、ネオナチとは路線を異にする右翼系の出版社ですが。amazon.co.jp/Alfred-Rosenbe…

@watanuki1989 への返信
23:38:34
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@watanuki1989 清水多吉がローゼンベルクについて雑誌文を1つ書いていたと思います。

@watanuki1989 への返信
23:25:00
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ラディカルな革命的行為は、どのようなものであれ悲劇的か喜劇的かは問わず破局に陥り、行き場を喪失する。行為や行動は、現実的な選択の1つであり、それ以外のものを否定することになるからだ。そして行為者には出来ないことを思想家がやるのだが、思想家の任務は、その行為の可能性の探索と肯定だ。

21:08:22
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

寡聞ながら、まだベンヤミン批判には接したことがない。ベンヤミン論をはじめベンヤミンへの言及はどれもこれも肯定的なものばかりだ。批判が無いのはまだ受容が未成熟の現れともいわれる。いずれ機会があれば、ベンヤミン批判をやってみたいと思う。

@Chisaka_Kyoji への返信
15:44:35
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ドイツ・ロマン主義からワーグナー、シェーンベルクさらにはダダイズムに至る問題から、アート以降としての反アートを問う一書の文を執筆中だが、出来れば「ロマン主義 対 カール・シュミット」という章をたて、シュミットの機会偶因論というロマン主義批判そのものを批判したい。

10:05:24

2017年05月03日(水)

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千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

「左翼は・・・すぎない」式の左翼批判をやる右翼は依然として多いが、このような右翼ははっきり言って駄目であり、当人たちにどれほど維新変革の意識があろうと構造的に権力の御用聞きにしかならない。維新変革派の右翼は自分たちのヘゲモニーで左翼の革命性を換骨奪胎してこそ、それたり得るからだ。

17:51:44
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

政治は現実を相手とするため、わかり易さが必要だ。しかし、わかり易さが問題を浅薄なものにしてしまう場合も少なくなく、そのような場合、わかり易さに警戒し、わかり易さの胡散臭さを問い、場合によってはわかり易さを粉砕する必要もあるだろう。

10:53:11
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@toshiki_miyata トロツキストを「自称」するということはトロツキストではないということになり、トロツキストの加入戦術は組織論であり運動論なのでしょうが、自称者の場合は、単なるコジツケでしょうね。

@toshiki_miyata への返信
10:21:32
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

日本の左翼は、なぜ革命性を喪失し、毒にも薬にもならない役立たずの社民やリベラルに堕したのか(もともと社民やリベラルでしかない左翼は腐るほどいるが)。それは、自分たちの思想や運動の根拠を社会に求めているからだ。先進国の社会的矛盾などその程度のものにすぎないことを知る必要がある。

10:10:03
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

それは彼が既存の左翼のように天皇を否定することなく、既存の右翼のように天皇の臣下となることではなく、天皇をオルグせんとしたからだ(だから北は臣民派右翼からは悪評だが)。天皇のオルグという北の路線は、変革の戦略や戦術論だけでなく、天皇と国家の観点からも看過しえないものを含んでいる。

@Chisaka_Kyoji への返信
10:02:28
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

かつて花田清輝が北一輝の日本改造案について、ホームランすれすれの大ファウルだったと評したことは知られている(近年は知らない人もいるかもしれないが)。なぜ、北一輝はひょっとしたらホームランになるかもしれない大ファウルを飛ばせたのか。

09:59:58

2017年05月02日(火)

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千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

保守の戦争容認派は、過去の日本の戦争について、日本は悪くなかったし、残虐なことはしていないと言う。しかし、そのような綺麗事の羅列で、来るべき戦場で戦う戦士を育成出来るのか。戦争の凄惨さ、自軍の残虐さ卑劣さを踏まえた上で初めて何事にも動じない戦士が可能になるのではないか。

19:38:08
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

資本主義は、悪の限りを尽くして解脱した坊主のようなものだろう。その意味で資本主義は資本主義なるものではなく、資本主義ですらなく、資本主義という実体でないところが資本主義なのだ。

@Chisaka_Kyoji への返信
17:59:50
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

はっきりいえば現時点で資本主義は無敵だ。いかなる哲学も政治も社会変革も、また美学も芸術も資本主義には勝てない。なぜか。それは資本主義が総破壊の体制だからだ。資本主義は一切の固有性を交換性へと破壊してしまう。だから創造や建設的な立場や中途半端な破壊は全て資本主義に負けるのだ。

17:55:50
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

グローバリズムとは万物の汎商品化であり汎物神化だ。これを市民の死として物神の側から捉えたのがユンガーの『労働者』における「兵士・労働者」の内実であり、その対極にいる市民(階級としての労働者も市民の範疇になります)は、まだ意識がそれ以前であるため反グロとして国境が可能だと思うのだ。

13:54:44
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

住吉大社の卯之葉神事の動画。youtube.com/watch?v=2rI-Zw…

@Chisaka_Kyoji への返信
13:45:27
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

私は舞楽が好きで、四天王寺の舞楽は、4月の聖徳太子の命日の精霊会における石舞台のものは見に行くようにしているが、40歳頃に、精霊会の日に偶然に出会う男女の一夜の行為を、マンディアルグを真似た下手な文章で、未発表の小説にしたことがあった。題は「浄められた夜」。

@Chisaka_Kyoji への返信
13:23:20
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

日本の舞楽は古来、大阪の天王寺、京都の宮中、奈良の南都の楽所が基軸であり、最古の洋式を伝えていたのが大阪の四天王寺の天王寺楽所の舞楽だった。天王寺楽所の舞楽は今も四天王寺の精霊会で舞われるが、5月4日は住吉大社の卯之葉神事でも見らる。osaka-info.jp/jp/events/fest…

13:11:20
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@sin_matsuyama 1968年闘争の時代も、時代考証が必要な歴史的過去になりつつありますね。ところが、映画やテレビに登場する1968年にはやはり時代考証が不十分なのか、リアリティが感じられない場合が多いです。

@sin_matsuyama への返信
00:04:49

2017年05月01日(月)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

珍しく近刊本を完読。東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』だ。1つ気になったのは、グローバリズムの理解の仕方だ。東は、国境を越える状態として捉えているようだが、それではグローバリズムとかつての国際主義との違いはどう捉えるのだろうか。ナショナリズムの把握もそれに応じて異なってくる。

22:55:36
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