Chisaka_Kyoji

千坂恭二@Chisaka_Kyoji

20,312 ツイート 353 フォロー 4,592 フォロワー

「自我の苦悩を描いた文学よりも時刻表の方が遥かに重要だ」(E・ユンガー)。「我々に必要なのは強靭で直截でかつ永久に理解出来ない作品だ」(T・ツァラ)。元「戦後最年少のイデオローグ」のバクーニン主義派アナキスト。革命と反動や極左と極右の両翼思想に取組む。『思想としてのファシズム』(彩流社)携帯09060622504

毎月、難波・味園ビルTorary Nandにて定例研究会開催  facebook.com/chisaka.kyoji

新しい順に表示 古い順に表示

全て表示 返信等を除く ピクチャ

「自我の苦悩を描いた文学よりも時刻表の方が遥かに重要だ」E

このユーザはTweezに登録されていません。
現在表示されているデータは一時的なキャッシュですが、こちらからすぐに削除できます。

2017年05月28日(日)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

土曜日の定例研究会はスペースが満員状態になる活況だったが、テーマはアナキズムの組織論。昨今、通俗的なアナキズムが書籍としても世間に顔を出しているが、このようなアナキズムは最も浅薄な見物人の論理によるものであり、アナキズムが直面し、解かねばならない問題が分かっていない。

@Chisaka_Kyoji への返信
19:44:59
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

当事者の論理と見物人の論理は自ずから違う。そして昨今の日本においては、様々な意味で、思想や政治その他、現実に関係する世界において見物人の論理が蔓延っている。見物人の論理は聞こえが良い。戦争に対しては反戦という式のものだ。しかし反戦はそのような見物人的な反戦の論理では不可能だろう。

19:41:06

2017年05月27日(土)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

資本主義は市場経済に基づくが、昨今の経済は、もはや市場経済ではないのではないか。というのは、市場経済は、売り手と買い手という他者関係がないと成立しないが、昨今、そのような他者関係はあるのか。むろん、まだあるかもしれないが、形骸化しつつあるのではないか。それが、忖度とか便宜だろう。

12:48:41
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

シェーンベルクと親交のあった抽象絵画のカンディンスキーだが、ミシェル・アンリのカンディンスキー論である『見えないものを見る』と並行してアンリの『マルクス』を再読。カンディンスキーはフリードリヒとも関連し、フリードリヒはワーグナーとも関連する。読書の幅がややこしく広がるのは楽しい。

12:39:21
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

カラヤン指揮のシェーンベルク『浄夜』も意外にも良く、以前、カラヤンで良かったのはシベリウスだけかと思ったこともあったが、カラヤンも馬鹿に出来ない(笑)。

@Chisaka_Kyoji への返信
12:32:27
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

数多くの社会主義思想の中でのマルクスの思想の意義は、社会主義を倫理的問題ではなく存在論的問題としたことだろう。つまり社会主義は、真偽や善悪とは関係なく必然だというわけだ。しかし、ニーチェ以降、さらにはグローバル化においては、マルクスが必然とした根拠は消滅したのではないか。

11:18:17
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

例外として、立場を越えたセンスの良さということがある。その立場には同意出来ないが、その立場を仮定すれば、なるほどと思われるようなことだ。どの立場も、ある程度の見識に至れば、異なったり、対立する立場に対しても、このような観点に立つことが出来るだろう。

@Chisaka_Kyoji への返信
10:49:57
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

だから、討議や論議して共通点や一致点が見いだされるのは、近似的な立場同士の間でしかなく、それ以外では、対立の確認や、違いの認識が出来るだけだろう。要は話しても結論を導くには無駄ということだ。後は、政治なら現実の力関係の操作が、思想なら論理の一貫性の維持が問題となり必要となる。

@Chisaka_Kyoji への返信
10:39:27
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

また政治的ヘゲモニーと、思想的ヘゲモニーは別のものとなる。政治的ヘゲモニーは現実の利害関係に左右されるが、思想的ヘゲモニーは問題の対象化に左右される。だから無思想な政治的ヘゲモニーもあれば、政治的に無効な思想的ヘゲモニーもある。

@Chisaka_Kyoji への返信
10:32:41
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

それぞれの立場は、自己を正当化するための、それぞれの理由や根拠を持っている。そして立場が違えば、そのような理由や根拠は通用しない。その意味で普遍的な立場などはなく、それぞれの立場の力の衝突だ。指導権は、生じた問題に対する対応の風呂敷がどれだけ大きいか、深いかがポイントになる。

@Chisaka_Kyoji への返信
10:27:36
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

いろんな政治的立場や思想的立場があるが、どれが正しいということはなく「非同時的同時性」(E・ブロッホ)のようなものだ。反動的、保守的、改革的、革命的、等々の立場があり、その中でまた細かく分かれる。それぞれの立場は、時代的だろうが反時代的だろうが、自己の立場を維持、貫徹するだけだ。

10:21:14

2017年05月26日(金)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

J・F・ノイロール『第三帝国の神話』のハングル版が、なぜか書庫の奥にあった。ハングルをやろうと思ったのだろうか。この頃は、今と違い、書籍の表題には漢字を使っている。 pic.twitter.com/Bs7s5PHRg0

22:53:32
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

シェーンベルクの弟子のアントン・フォン・ヴェーベルンの曲だが、あのヘルベルト・フォン・カラヤンは、ヴェーベルンの指揮もやるんだね。youtube.com/watch?v=8gQ1TQ…

22:01:00
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

明日の研究会は、午後6時~9時。アナキズムの組織論をやる。以降は時間無制限の交流会で、テーマを決めずに、思想、芸術、文学、政治から世事に至るまで自由に話す。 twitter.com/Torary/status/…

21:55:13
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ドイツ・ロマン派のフリードリヒと、抽象絵画のカンディスキー、ロマン派的なワーグナーと無調音楽のシェーンベルク、そのカンディンスキーとシェーンベルクには親交があった。ワーグナーを聴きながらフリードリヒの絵を見るのも良いだろう。

@Chisaka_Kyoji への返信
20:05:26
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

シェーンベルクの表現主義的な無調音楽の代表作『月に憑かれたピエロ』を聴く。怪奇で病的に異常な幻想の世界が、不気味な孤独感をともなって表現されている。youtube.com/watch?v=KsIATA…

19:57:37

2017年05月24日(水)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

「壁ドン」については、私は、男としても気持ちが悪い。ところで女性に持てない男性は、私の研究会の二次会兼交流会にでも来ればいい。具体的なアドバイスがいくらでも出来るだろう(笑)。

@Chisaka_Kyoji への返信
11:22:36
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@6850013 イケメンは、そんなことしなくてももてるので、やらないでしょう。

@6850013 への返信
10:38:58
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

壁を背にした女性に、男が手を壁に突き出す「壁ドン」という仕草があるが、あんなもの女性は嬉しいのだろうか。あれは、男の威圧行為であり、女性に持てなくて、しかも阿呆な男がすることだろう。

10:36:24
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ネットに、芸能関連の与太話に、女性芸能人の整形の話題がある。その芸能人のアンチの者による出鱈目や整形外科による宣伝紛いのものが少なくないが、その真偽の1つの基準として、整形をいわれる芸能人が化粧品のテレビCMに起用されていたら、その芸能人についての整形話はまず嘘話だろう。

@Chisaka_Kyoji への返信
09:15:39
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

大阪ローカルのテレビCMに、ある整形外科のものがあり、そこの医院長らしい男性が、「貴方も、ちょっとした勇気を」と、整形を呼びかける台詞がある。しかし、ちょっとした勇気が必要なのは、この医院長だろう。彼の顔の真中にでかいイボがあるが、なぜ彼はそれを、ちょっとした勇気で治さないのか。

09:09:39
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

今、泳げない人はどれくらいいるのだろうか。水に浮き、溺れ死なない程度の水泳なら、自転車に乗る練習と同じ程度の練習で泳げるようになる。ただ、自己流のフォームでは駄目で、フォーマルな様式を身に付けた方が良いのでスイミング・クラブや水練学校に行った方がいい。

08:34:54
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@tanosensei 私の勝手な見方ですが、意地悪な言い方をすれば、ベンヤミンは、世事に疎いというよりも、どこか小馬鹿にし、舐めていたところがあるように思います。

@tanosensei への返信
08:29:11

2017年05月23日(火)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

歴史的な構造性において、1970年前後の武闘は、大東亜戦の戦後における革命的な継続的再戦であり、警察はアメリカ軍であり、新左翼は日本軍だったということだろう。だから新左翼を「反日」と罵り、警察を評価するネットウヨとは、実は、彼らこそ、歴史的に反日でありアメリカの手先となる(笑)。

@Chisaka_Kyoji への返信
21:34:54
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

今では親戚の法事の時にしか会わない従兄弟が、去年まで旧某帝大の学長をしていたが、今は、医学部の名誉教授となり、東京に、ほぼ半定住に近い出張生活をしているようだ。政府関連の会議に出席する仕事があるらしい。会う機会があれば安倍のことも訊いてみようと思うが、会う機会がない。

20:40:16
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

東浩紀の『観光客の哲学』が、全く分かっていないというか、捉え損なっているのはグローバリズムだろう。グローバリズムはインターナショナリズムとは異なる。だからグローバリズムとナショナリズムの二重構造などありえず、グローバリズムにおいてはナショナルとされたものは対抗軸にはならない。

20:27:00
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

他にも、鰻の調理の仕方その他、いろんな違いがあるが、それらはよく知られていると思う。ちなみに、大阪は、粉物や麺類が有名だが、それは東京発の大阪オリエンタリズムの産物であり、実際の大阪は、高級料理の本場でもある。

@Chisaka_Kyoji への返信
20:06:37
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

東京と大阪の「ざるそば」はかなり違う。まず、そばを漬けるつゆの味が違う。東京のものはとにかく濃くて辛い。だからそばをほんのすこし漬けて食べるが、大阪はほどよい辛さで口当たりがよくそばをたっぷり浸して食べる。東京の場合は残った辛いつゆを飲むために、そばの出し汁が出るが大阪にはない。

20:00:45
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

私が小学生くらいの頃、銭湯では身体を洗い、湯に浸かって出てくると、体重計で体重を測ったり、ラムネやコーヒー牛乳を飲んだりしたが、壁には、顔写真の並ぶ指名手配のポスターが貼られていた。いつも見ていると覚えてしまい、この人は何処で、何をしているのだろうかと子供心に思ったものだった。

19:43:12
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

つまり、1970年前後と現在の、軍事と政治の違いは、渋谷暴動と、籠池問題や共謀罪批判の違いといえば分かりやすいだろう。

@Chisaka_Kyoji への返信
19:31:36
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

人間の経済活動が、物々交換、収奪、市場という形態があるとすれば、1970年前後の武闘は、収奪的であり、だから戦争になるとすれば、現在の運動は、市場的であり、市場がそうであるように暴力の忌避となる。ニーチェ風にいえば、1970年前後は戦士的であり、現在は商人的となるだろう。

@Chisaka_Kyoji への返信
09:14:59
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

1968年闘争や1970年代は、政治闘争ではなく本質的に軍事闘争だった。だから学園でも街頭でも武闘であり、爆弾や革命戦争に至る。渋谷暴動もまさに武闘であり、政治闘争ではない。それは1970年前後が、主観的に革命戦争期だったからだろう。その気配は、現代では中々理解しにくいと思う。

@Chisaka_Kyoji への返信
08:54:53
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

中核派の人間が捕まったらしい。渋谷暴動に関連した容疑での指名手配だったが、渋谷暴動はリアルタイムで知っている。というか、当時、目黒区東が丘に住んでおり、渋谷暴動の日に、たまたまかどうかは忘れたが、東横線で渋谷に出ていた。渋谷駅の近くだけでも中核派の民兵のような学生が至る所にいた。

08:44:57

2017年05月22日(月)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

私の定例研究会には、政治的には極右も極左も来て、討議したり極的に意気投合したりすることはあるが、来ないのは、共産党とレイシストくらいか。レイシストは一度だけ来て、右翼の人間とコミュニケーションをとろうとしたようだが、右翼からも相手にされず二度と来なくなった。

11:05:24
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

近年は、現行の民主主義の現状を批判するも、真の、あるいはよりそれに近い民主主義を志向する立場が、愚民とか衆愚という語を用いるが、そのような語彙は、反民主主義者でないと使用すべきではないだろう。なぜならそうでなければ、それらの語彙の使用は為にするものでしかなくなるからだ。

10:24:24
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

国士というと右翼の専売特許のようだが、面白いのは、国士という日本語に関連していえば、左翼や極左にも国士あるいは国士のような存在が少なくないところだ。左翼や極左を「反日」や「国賊」というウヨよりも左翼や極左の方が国士的だったりする。ちなみに私の旧友は公安公認の極左国粋派だ(笑)

09:34:22
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

人間の個人的な暴力沙汰には、暴力を受けた側の過剰防衛という問題があるが、国家間の戦争では、何が何でも先に手を出した方が悪く(むろん、それで負けた場合だが)、戦争には過剰防衛という視点はないのだろうか。

08:59:41
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

歳を重ねるとデカルトのいう心身二元論は正しいのではないかと思えてくる。確かにカントのいう不可知の物自体は理屈としては分かるが、物自体は不可知なだけでなく、なかなか思うように動かず、また問題を起こしたりする。

08:13:40
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

日本海を「東海」に改称しようとするところに韓国が日本に勝てない限界が露見している。せいぜい韓国が批判する日本の二番煎じになるのが関の山だ。もし「日本海」名が嫌なら、韓国本位の「東海」ではなく(そこは日本からだと「西海」になる)、「中海」のような普遍性を持つ名称を提起すべきだろう。

00:52:35
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@Ternod ここ数十年ほどの間に進出し、世間でも知られ、話題になっているような企業は、ほぼブラック企業でしょう。ブラックでないとそれらの企業の経営が成立しませんから。しかし、ブラック企業は、借金の過払い金と同じで、相手を泣かせる対応はいくらでも出来ると思います。

@Ternod への返信
00:17:05

2017年05月21日(日)

Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@Ternod 20代の頃、借家に住む時は借家法を、就職する時は労働法に目を通しておいた方が良いと、私は周囲の同年代の人間によく言ってました。

@Ternod への返信
23:48:44
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@Ternod 今は大阪は、敷金・礼金制度となり、しかも更新料はなく、家賃相場は当然、東京より安価ですから、入居時から東京と比べると安いです。また更新料は借家法になく慣習ですから、東京で借家住まいしている時、無視しても法律で争えば… twitter.com/i/web/status/8…

@Ternod への返信
23:33:51
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@Ternod 賃貸業界には、東京の賃料が高くないと思わせる策術的な操作がありました。東京は、礼金・敷金制度でしたが、大阪は礼金と敷金を一括して保証金としていました。一括なので金額の提示が東京の礼金よりも高くなります。実際は敷金部… twitter.com/i/web/status/8…

@Ternod への返信
23:23:13
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

@oscarexpress 私は、国士舘高校卒業後の、まだ統一戦線義勇軍にいた20代の木村君(君付けは当時からの癖)をよく知っているし、高田馬場の深夜喫茶で、楯の会一期生の阿部勤と一緒だった頃、不良少年の面影を残した木村君を見たこともありますが、それが懐かしい。

@oscarexpress への返信
23:10:51
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

また、そんなことは私には関係ないという意識があるとすれば、そのような意識は、どこで、どのように社会問題や政治批判の運動や思想をやろうとも、本質的に問題の見物人の論理しかなく、問題に対する無自覚な鈍感さばかりとなろう。

@Chisaka_Kyoji への返信
22:30:44
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

連合赤軍事件は、昔の事件ではなく、また革命運動に関連した猟奇的な事件でもない。いつでも、今でも起こり得ることであり、また、ラディカルな立場ならば、思想信条に関わりなく起こり得ることだ。暴力否定の平和派においても、それに類することは起こり得ることを忘れてはならない。

@Chisaka_Kyoji への返信
22:26:00
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

連合赤軍事件の当事者的な中心的人物は永田洋子だとすれば、永田洋子になる必要があるのだ。桐野の小説のような永田洋子の周囲にいる者では駄目なのだ。むろん永田洋子に対する批判はあり、永田洋子のようなことも出来ないだろう。しかし永田洋子の主観になる必要があるのだ。でなければ何も問えまい。

@Chisaka_Kyoji への返信
22:13:28
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

私も、拙著『思想としてのファシズム』(彩流社)で、連合赤軍のことも取り上げている。実は、1973年の『歴史からの黙示』(田畑書店)でもリアルタイムで取り上げていた。リアルタイム時の私の視点はゾロゾロと出て来るヒューマニズム的な批判や留保に対する批判だったが、これは今も変わらない。

@Chisaka_Kyoji への返信
22:06:46
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

見物人によって連合赤軍事件を描いたり、思想的に問うたり出来るのか。つまり所詮はヒューマニズムでしかないというのもこのことだ。ヒューマニズムは事件を、犯罪か治癒すべき病気と見ている。だが、連合赤軍事件の当事者からすれば、これは犯罪でも病気でもなかったのであり、それを見る必要がある。

@Chisaka_Kyoji への返信
21:58:58
Chisaka_Kyoji

千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

連合赤軍事件に対するその後の視点は、本質的にどれもこれもヒューマニズムが基本にある。それは文学も思想も同様だ。それは否定すべきことであったり、拭えない心の傷として表現され捉えられる。つまり、どれもこれも見物人の視点であり当事者がいない。桐野の小説の主人公も、現場の見物人なのだ。

@Chisaka_Kyoji への返信
21:53:40
1 2 3 4
このページをシェアする

ツイート検索 @Chisaka_Kyoji

このページをツイートする