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脱学校に関する書籍を紹介します。ひとまずは「脱学校の社会」イヴァン・イリッチ amzn.to/1ItCG4Pのみです。@komiyushoが非公式に運営しております。

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教育機会を平等にすることは

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2017年03月15日(水)

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脱学校bot @datsugakkobot

教育機会を平等にすることは、たしかに望ましいことでもあり、実現可能な目標でもある。しかしこれを義務就学と同じだと考えることは、魂の救済と教会とを混同することにも等しいのである。『脱学校の社会』

05:27:34
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脱学校bot @datsugakkobot

「学校化」(schooled)されると、生徒は教授されることと学習されることとを混同するようになり、(中略)彼の想像力も「学校化」されて、価値の代わりに制度によるサービスを受け入れるようになる。『脱学校の社会』

04:27:31
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「脱学校の社会」というのも単に社会から「学校」をなくすことを目指しているのではなく、「社会の脱学校化をはかること」を意味しているのである。(解説)『脱学校の社会』

03:27:34
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イリッチが「脱学校」という場合、すべての学校を廃止したり、あるいは学習のための制度のない社会を目指しているのではなく、むしろ学習や教育を回復するために制度の根本的な再編性を求めているのである。(解説)『脱学校の社会』

01:27:38
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彼(イリッチ)は教育の機会を平等化することは必要なことであり、実現可能なものでもあるが、それを義務制の、段階的に進級する学校制度を通して実現することは不可能だというのである。(解説)『脱学校の社会』

00:27:42

2017年03月14日(火)

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われわれは希望と期待との区別を再発見しなければならない。(中略)希望とは、われわれに贈物をしてくれる相手に望みをかけることである。期待とは自分の権利として要求することのできるものを作り出す予測可能な過程からくる満足を待ち望むことである。『脱学校の社会』

23:28:13
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親は、自分の子供たちを、自主的に責任をもって学習できるようになることに通じる道へ旅立たせるためにガイダンスを必要とする。学習者たちには、彼らが困難な状況に遭遇した時に指導してくれる経験豊かな指導者が必要である。『脱学校の社会』

22:28:11
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若者に、彼がまだ幼い頃から他の人に出会い、その人を評価し、あるいはまた他の人を探し出すなどの魅力を感じさせるならば、彼らに新しいことをするために新しい相手を見つけるということへの関心を一生涯、持ち続けさせる準備とならろう。『脱学校の社会』

21:28:11
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たしかに、学校によって子どもたちは家庭を離れ、新しい友だちに出会う機会が与えられる。しかし、それと同時にこの過程を通して、子どもたちは一緒にされた同年齢者の中から友達を選ぶべきだという観念を教えこまれる。『脱学校の社会』

20:28:05
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望ましい教育制度の下では、一人一人の活動が特殊化され、その活動のためにそれぞれが仲間を探すというようなものになろう。『脱学校の社会』

19:27:58
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学校は最悪の状態にあるとき、学級の仲間全員を同じ部屋に集め、数学、公民、および綴字などを(個人差を無視して)全員に全く同じ順序で教えるのである。学校が最良の状態にあるときは、個々の生徒は、いくつかの限られたコースの中からひとつのコースを選択することが許される。『脱学校の社会』

18:28:15
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公立学校があるために、事物を教育的に使用することの管理権は、国民一人一人の手から専門家の手に奪われるのである。『脱学校の社会』

17:28:00
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若者から公権を奪うことを始めのうちは制限し、後にはそのようなことを全面的に廃止し、十二歳の少年が制限なしに社会生活に参加する責任をもつ人間であると認めることである。「学齢」にある児童の多くは、近隣について社会事業家とか議員などよりもよく知っている。『脱学校の社会』

16:28:07
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偉大な古典でさえも、個人の人生に新たな転換を引き起こすものとならないで、「大学二年生」が使用するテキストの一部となるのである。学校は、それらに教育上の道具というレッテルをはることによって、事物を日常生活から取り去ってしまう。『脱学校の社会』

15:28:08
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社会の根本的な脱学校化をめざす声はバラバラに主張されるままになっている。義務教育的学習の目的に奉仕するならどんな制度であれ、それをすべて廃止することをめざす説得力のある議論と円熟したリーダーシップが欠けているのである。『脱学校の社会』

14:28:02
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従来通りの学校ではダメだということは明らかである。フリー・スクール運動は、型にはまりたくない教育者の気持ちをさそうが、究極においては学校教育の伝統的なイデオロギーを支持している。『脱学校の社会』

13:27:55
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高速道路をフルに使わないことは、学校教育をフルに使わないことほど高価なものではない。(中略)しかし学校の中途退学者は、学校に変わる別のルートをもたないのである。『脱学校の社会』

12:28:11
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学校は、人々の成長し学習しようとする自然な傾向を、教授されることに対する需要に転換するのである。他人によって成長させてもらおうとすることは、製造された商品を求めることよりももっと余計に自発的活動の意欲を放棄させる。『脱学校の社会』

11:27:57
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高速道路を真の公共事業として計画するためには、速さとか個人化された快適さを主要な輸送価値と見るような人々を、機動性や目的地に行くことに価値を認める人々から区別し、後者を優遇しなければならないであろう。『脱学校の社会』

10:27:55
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電話と郵便のネットワークは、それを用いることを欲する人々に役立つために存在するのに対して、高速道路網は主として自家用車のアクセサリーとして役立つのである。『脱学校の社会』

09:27:50
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多くの教育改革者たち――彼らは現代の学校の特徴のほとんどすべてのものを非難せざるを得ないと感じているが、にもかかわらず新しい学校を提案している――にとってたしかに真実である。『脱学校の社会』

08:28:21
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自称革命家の多くもまた、学校の犠牲者である。彼らは、「解放」さえも制度をどうにかすることによってもたらし得ると考える。自らを学校から解放しなければ、そのような幻想を追い払うことはできないであろう。『脱学校の社会』

07:27:33
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現在は、若い人たちは、彼ら自身の知識であるのに、それを学校の市場に出された商品であると考えて、その生産者であると同時に消費者でもあるかのごとくにふるまっているが、現実にはその間に、学校によって孤立化され、あらかじめ疎外されてしまうのである。『脱学校の社会』

06:27:44
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各教科は一つの「提供されたもの」を消費したらまた次のものをというように、次々に消費するように使用法を記されて包装されてくる。そしていつでも昨年の包装は今年の消費者には時代遅れだということになるのである。『脱学校の社会』

05:27:44
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自分の人間的成長の測定に他人の標準が用いられることを甘受していると、人々はもまもなく自らもその同じ尺度を自分自身に適用するようになる。『脱学校の社会』

04:27:32
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学校は学習を「強化教材」に細分化し、これらの予め作られた教材から組み立てられたカリキュラムを子供の中に構築し、そしてその結果を国際共通の尺度で測定するかのように装うのである。『脱学校の社会』

03:27:31
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学校によって徐々に教え込まれる制度化された価値は、数量化された価値である。学校は想像力をも含めて、否、人間そのものまでをも含めて、全てのものが測定できるような世界へ若者を導き入れる。『脱学校の社会』

02:27:45
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学校においてわれわれは、価値のある学習は学校に出席した結果得られるものであり、学習の価値は教えられる量が増えるにつれて増加し、その価値は成績や証明書によって測定され、文書化され得ると教えられる。『脱学校の社会』

01:27:33
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われわれはまず第一に、個人的学習も社会的平等も学校教育という儀礼によって促進されることはないことを理解しなければ、教育改革を始めることはできない。『脱学校の社会』

00:27:53

2017年03月13日(月)

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歴史上のどんな社会も存続するためには儀礼または神話を必要とした。しかしわれわれの社会ほど、その神話への非常に退屈で費用のかかる入会の儀礼が必要であった社会はなかったのである。『脱学校の社会』

23:28:01
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学校なくしては、普遍的で長い年月にわたる子供時代も窒息させるような学級の雰囲気も、存在し得ない。『脱学校の社会』

22:27:56
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もしも学校が長年月わたって神聖な特別の場所に、若者を物理的に幽閉するのでなければ、学校は、平常な現実の規則が停止されるような別世界を作り出すことはできないであろう。『脱学校の社会』

21:27:55
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学校にいくことは、子供にとっては西洋文化の支配する日常から隔離され、はるかに原始的、魔術的で、甚だしく重苦しい全く別な世界に入れられることなのである。『脱学校の社会』

20:28:04
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子供をフルタイムの生徒と定義することにより、教師は学校以外の社会的に隔離された他の制度の監督者が持っている権力よりもはるかに憲法上および慣例上の制限を受けない権力を、生徒に対して行使することを許される。『脱学校の社会』

19:27:50
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学校はまさにその性質から、参加者の時間とエネルギーに対して、全面的な要求をする傾向がある。こうして次に、教師は保護者、道徳家、および治療者となるのである。『脱学校の社会』

18:28:10
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それを与えられている少数の者のうちのかなりの多くの者にとって、子供時代は重荷になっているようにも思われる。彼らのうちの多くは、やむを得ずその時代を通過しているだけであって、子供の役割を果たすことが全然楽しくないのである。 『脱学校の社会』

17:28:03
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産業社会となってから初めて「子供時代」の大量生産が実現可能となり、また大衆にも手の届くものとなった。学校制度は、それがつくり出す子供時代と同じように、近代に出現した現象なのである。『脱学校の社会』

16:27:57
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我々は現在抱いている「子供時代」の概念が、西ヨーロッパにおいてつい最近、アメリカにおいては、さらに最近になってから発達したということを、忘れているのである。『脱学校の社会』

15:27:50
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学校は人々を年齢に応じて、集団に分類する。この分類は当然視されている前提に基づいている。その前提とは、子供は学校に所属する、子供は学校で学習する、子供は学校でのみ教えられることができるというものである。私は、この未検討の前提をまじめに疑ってみる必要があると思う。『脱学校の社会』

12:28:05
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私は公立学校の現象学とでも呼ばれるものを選び、これを持って始めることにした。この目的のために、私は「学校」を、特定の年齢層を対象として、履修を義務付けられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある課程と定義する。『脱学校の社会』

11:27:56
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社会にはその社会が蓄積してきた記憶があるが、教育が成り立つかどうかは、その記憶の扉を開く鍵のうちのいくつかをすでに持っている教育者と学習者の関係がどうなっているかに依存している。『脱学校の社会』

08:28:07
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もしも学校が技能を学ぶにふさわしくない場所なのであるならば、教育(education)を受けるにはもっとふさわしくない場所なのである。現在の学校はそのどちらの任務をもうまくやっていない。その理由の一部分は、学校がその両者を区別しないことにある。『脱学校の社会』

07:27:29
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たいていの人々は、知識の大部分を学校の外で身につけるのである。人々が学校の中で知識を得るというのは、少数の裕福な人々において、人々の一生のうち学校の中に閉じ込められている期間がますます長くなったという限りでそう言えるに過ぎない。『脱学校の社会』

06:27:36
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学校の廃止を効果的にするためには、就職、選挙、あるいは学習センターへの入所などの際に、それ以前に特定のカリキュラムによる教育を受けてきたかどうかによって差別をするようなことを禁止する法律が必要なのである。『脱学校の社会』

05:27:33
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教育機会を平等にすることは、たしかに望ましいことでもあり、実現可能な目標でもある。しかしこれを義務就学と同じだと考えることは、魂の救済と教会とを混同することにも等しいのである。『脱学校の社会』

04:27:34
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「学校化」(schooled)されると、生徒は教授されることと学習されることとを混同するようになり、(中略)彼の想像力も「学校化」されて、価値の代わりに制度によるサービスを受け入れるようになる。『脱学校の社会』

03:27:32
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「脱学校の社会」というのも単に社会から「学校」をなくすことを目指しているのではなく、「社会の脱学校化をはかること」を意味しているのである。(解説)『脱学校の社会』

02:27:33
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イリッチが「脱学校」という場合、すべての学校を廃止したり、あるいは学習のための制度のない社会を目指しているのではなく、むしろ学習や教育を回復するために制度の根本的な再編性を求めているのである。(解説)『脱学校の社会』

00:27:43

2017年03月12日(日)

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彼(イリッチ)は教育の機会を平等化することは必要なことであり、実現可能なものでもあるが、それを義務制の、段階的に進級する学校制度を通して実現することは不可能だというのである。(解説)『脱学校の社会』

23:28:04
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われわれは希望と期待との区別を再発見しなければならない。(中略)希望とは、われわれに贈物をしてくれる相手に望みをかけることである。期待とは自分の権利として要求することのできるものを作り出す予測可能な過程からくる満足を待ち望むことである。『脱学校の社会』

22:28:06
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